マリーの部屋 ー お金のこと㊺ 為替激動戦記 その1 前回の円買いドル売り介入
みなさまごきげんよう。
お元気でお過ごしかしら。
わたくし、先日グラフを作ってみましたの。
私が大学生の頃(為替ってものに注目しはじめたころ)から足元まで。
どういう感想を持たれるかしら。
それぞれの期間に思い出がだくさんあるわ・・・・
4回シリーズにわけて、当時のことを思い出しながら解説しようと思います。
①1995年の急激円高→円安 20円の激動 メキシコ危機と円売り介入
1995年の春、大学生の私は母と朝の連ドラを観ていました。そうしたら「ニュース速報」のテロップがでて、「ドル円為替80円割れ」と。一瞬80円を下回りました。母が証券会社にすぐ電話をかけて、米国債(ドル建て)を購入していて驚いたわ・・・
このときは、メキシコがデフォルトするかもという「メキシコショック」で、逃避通貨としての円が買われました。
あまりの急激な円高に日本だけでなく、米国その他からも懸念が表明され「G7共同声明」がだされ、為替は大きく方向転換しました。日本政府はそのあいだずっと「円売りドル買い」の為替介入をしてきました。2月以降ずっと。そして、5月末には、日米「協調介入」が行われ、やっと安定に至りました。
②1998年の大幅円高 円安→円高 30円の激動 円買い協調介入とLTCM危機
95年以降は長期にわたる円安トレンドとなりました。この時期は97年に山一証券や三洋証券がダメになったり、長信銀に公的資金が入ったり・・・ということで日本の銀行がドル資金を調達しにくくなったりして「ジャパンプレミアム」が叫ばれていたわね・・・さらに97年にはアジア危機、ロシア危機もありました。危機だらけの中、円安メガトレンドは進んでいったわけです。
こういう、長期のトレンドが出てくると、素人が為替のオプションとかたくさんやりはじめるので、その後の「大けが」につながりやすいんです。
私もその後の98年の急激な円高で、為替ポジションで大損したお客様をたくさん見たわ・・・
あ、そんな為替デリバティブ金融商品をお客様に販売している証券会社は、ヘッジをちゃんとしているので損はしません。
もとい、そのまま1ドル145円まで行ってしまい、これはまずいということで大蔵省と日銀は為替介入をすることになります。
そう、今とおなじ、「円買いドル売り」介入。アメリカ様の通貨を売ってしまうわけです。大丈夫、このときは日米による円買いドル売りの「協調介入」でした。
これにより、ドル円は145円から135円程度に10円くらい円高になりました。
(あしもとも、日本単独じゃなくて、日米協調介入だったら、10円くらい動いたのかと思いますが、アメリカの経済状況が当時とは違うから、介入してくれるわけないわよね。日本単独介入の容認がせいぜい。)
ここで10月に起こったのが、「LTCM危機」です。
Long Term Capital Managementという、ノーベル賞学者を二人も抱えた有名なヘッジファンドが破綻し、そのポジションの巻き戻しをきっかけに大幅な円高になりました。
135円→115円、約20円も動いたのです。
このとき、私は新人で、Bloombergで為替マーケット画面をみていました。
消えたんですよ、グラフが。
あまりに大量の円買いドル売り注文が出され、市場がさばききれず、約定がほとんどされず、取引がほとんどないまま、いっきに20円動きました。
135円の点と、115円の点しかなくて、そのあとにその間に線が引かれる、って感じ。
社内は騒然となったわ。たくさんの為替のお客様から担保をいただかなきゃいけなくなって、飲み会も接待も、さらには顧客ミーティングもキャンセルになった、10月のあたまでした・・・・
あれから24年もたつのねえ・・・
感慨深いです。
今、ドル円為替が140円台で、「円安!」とドキドキしてしまいますが、私が社会人になって外資系証券会社に入社してはじめて見た光景が145円。
ありうる水準よねえ、というのが私の感想です。
さらに、マリーの為替戦記は続く!
激動戦記 その2
激動戦記 その3
激動戦記 その4