マリーの部屋

人々の幸せを願うマリーが、投資、資産運用、キャリア、受験、子育て、金融について語ります。金融機関勤務25年超。東京大学経済学部卒。

マリーの部屋 ー お金のこと㊻ 為替激動戦記 その2 金融危機とクビ切り

みなさまごきげんよう。
お元気でお過ごしかしら。


今日もドル円為替を振り返っていくわよ。



危機前夜
2000年くらいから2006年くらいまでは、私は印をつけていません。


でも、何もなかったわけではなく、2001年には、エンロンやワールドコムの破産、2005年にはGMやFordの格付けが下がって、社債がジャンク債になって、信用危機が一瞬高まったこともあります。


このころは、為替もまあまあ安定していますし、なにより「信用」がたくさん創造されました。サブプライムというあまりお金をもっていない層にも、放漫融資がたくさんされて、その後の金融危機の下地が出来上がりました。アメリカでは、住宅ローンの融資の審査は、あってないようなものだったのです。


証券会社はとても儲かっていて、そんな各種ローンや類似品を束ねた、CDO(債務担保証券)の一種であるCLOやCBOやシンセティックCDOがばかみたいに売れました。


このブームに乗って、日本でも外資系証券が採用をうんと拡大し、腕に覚えのある「都銀マン」がたくさん外資系に転職したりしました。新卒の就職市場で外資系がとても人気だったのはこのころです。
ええ、その後のリーマンショックで、退場を余儀なくされた、にわか外資証券マンもたくさん生み出されることになりました。


そういう、罪深い安定した時期が、ここだったのです。



③金融危機 円高進行 世界で金融不安 円高 グローバルで利下げ
サブプライムショックという言葉をお聞きになったことはあるかしら。
ほぼ何の審査もなく、信用力の低い個人にもローンがどんどんだされ(それが不動産市場に流れ込み)、バブル!!経済になりました。
それに陰りがでてきて、あれ、貸し倒れ率が増えてきた・・・?というのが、2007年あたまくらい・・・・


わたくし、このときとある証券会社でCDO関連の仕事をしていたので、ここから苦難の、日々がはじまります。
2007年の7月、NY出張にいっていたとき。
いきなり、社債が暴落したの。これが危機スタートの号砲、と感じました。


株も反応して、日経225も、一日で500円、800円とかどんどん値段が下がったわ。


私が販売していたCDOも当然大暴落。


このあたりから個人的悪夢ははじまります。


2007年末に、SIVと呼ばれていた金融商品の格付けが一日にして11ノッチ下がったり。NYの同僚がクビになり、NY本社に電話をしても電話がつながらないなんてことになりました。
そして、お客様からは問い合わせの電話の嵐で、電話線はパンク。


景気は悪化の一途だったので、各国も大幅利下げを行いました。
危機の円買い、で、円高もぐんぐん進みました。


そして2008年9月15日 リーマン・ブラザーズ破産法申請


でもねえ、これはアメリカ中心の危機、金融の危機だったので、日本人の日々にはあまり影響がなかったんです。
金融機関勤めのエリート社員が、束になってクビになっただけ、かしら。
わたくしもクビになりました。みんなと一緒にクビになった、って感じもいたします。


アメリカの危機が一段落したころ、2010年ころからは「欧州危機」がはじまります。欧州周辺国というギリシャやイタリア、スペインあたりの景気が悪化して、さらなる
「危機の円買い」が進みました。


わたくし、本当にどうしてこういう運命なのかしら、この時ちょうどフランスの銀行に勤めておりまして・・・・資金調達が大変、とか目の前で見てしまいました。
そして、本社の持っている、優良な融資とかの金融資産を、日本の銀行に販売したりしていました。本社の資金調達を助けるためにね・・・・。


長くなってきたので今日はここまでにしましょう。


先週私のいきつけのイタリアンレストラン「ses」で1周年記念パーティがありましたの。
1周年のお祭りだから、ということでお祭り風のメニューもたくさん!
天才シェフがつくると、焼きそばも、ものすごくおいしくなるのねえ、と感動いたしました。

為替激動戦記、まだまだ続く!!


激動戦記その1はこちら

激動戦記その3はこちら

激動戦記 その4はこちら

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