マリーの部屋 ー マリーのキャリア③ 証券から運用へ
みなさまごきげんよう。
お元気でお過ごしかしら?
昨日はね、今の会社の顧問とごはんにいきましたの。
夜景の見えるアークヒルズクラブ。
ひさしぶりの超贅沢でしたわ♡
わたくしのキャリアについてですが・・・
わたくしはずっと金融機関で働いているのですが、おおきく2つにわかれておりますの。
前半:証券会社
後半(今):運用会社
証券会社は楽しかったですわよ。
だって、毎年いくら稼げるか、という純粋なゲームで。
新卒で入社したアメリカの証券会社は、毎日運動会みたいだった 笑
だれが、だれより稼いでいるか、が可視化されていて。
あんまりよくないと思うのですが、稼いでいれば、すべてが正当化されました。
年度末は、毎年11月だったのですが、そこをゴールとする競馬みたい。
いくら稼いだとしても、すべての営業マンについて、11月末に営業成績が
「ゼロ」
にリセットされるの。
そして、12月1日から新しいレース・・・
最初はつらかったわ。
頑張っても頑張っても、指の間から砂がこぼれるみたいな気持ちで。
でも、なれっておそろしいです。
そのうち、12月に成績がリセットされることが快感になってきて・・・
証券会社で営業やトレーダーをやっていた方には、ご理解いただけるのではないでしょうか。
しかし、「稼ぐ」ということにはじめて罪悪感を感じたのが2008年、リーマンショックの前でした。
以前もおはなししたように、わたくしはそのとき「さぶぷらいむ」という商品を扱っておりましたの。
お客様もふつうの債券を買うより利回りが高いから、ふつうの相場でしたら得しますのよ。
でもそれ以上に、会社が「利益」を得ていました。
そして世界が逆回転して・・・
仕組み債の回でも述べましたように、利回りの高い証券=リスクをとっている
ということでございます。
つまり、お客様は無限、つまり、投資した資金をすべて失ってしまうところまで損をこうむってしまう可能性があったのです。
もちろん、販売したわたくしも、そこまで相場が動くなんてこれっぽっちも思っていません。
過去のデータを使って、歴史をひもとくと、一番損をするとして、これくらいでした。
と説明しました。
でも、リーマンショックは、過去の金融危機よりずっと相場がうごいて・・・
お客様は、わたくしが考えていた以上に損をしてしまいました。
お客様ご自身は、わたくし以上にびっくりしたと思います。
そのお気持ちがわかるので、わたくしはお客様からのお電話には丁寧に対処していたのですが・・・
ある日、インド人の上司に呼び出されました。
「毎日忙しそうに朝から晩まで働いているみたいだけど、もうかってるの?」
「いいえ、もうかってはいません。状況をご説明するのでいそがしいのです。」
「ふうん。」
上司はいいました。
「もうからないなら、電話に出るのをやめろ。資源の無駄遣いだ。」
資源、というのは、私の人件費のことだと思われます。
「客がそんなに不安をもっているのなら、それをあおって、その販売した債券を安く買い戻せ。そうしたらもうかるだろ。」
そのとおりでございます・・・。
一介の会社員の私にとって、その言葉は業務命令でした。
その後、わたくしはそのインド人上司の言葉のとおり、不安なお客様によりそい、100円で販売した債券を、20円で買い戻したりしていました。
社内時価は25円くらいだったので、帳簿上、5円のもうけです。
わたくしが一生後悔することになるお仕事です。
わたくしは病んでいきました。
体重がするすると落ちていきました。
そして最終的にクビになったのは、以前もうしあげた通りでございます。
二度とあんな仕事はしたくない。
私のその後のキャリアの根底に流れる気持ちです。
証券会社と運用会社の違いについてですが・・・
証券会社:売買をするともうかる
運用会社:預かり資産を維持できたらもうかる
ものすごく単純化すると、こういうことになります。
つまり、運用会社は、
「お客様がたくさんの資産を、長期的に預けてくださる」
ということが、会社の収益になります。
証券会社より、運用会社のほうが、お客様に寄り添える・・・と、強烈に思いました。
2008年のあのとき、証券会社にいたから、「客に、債券を売らせろ」と言われたけど、
運用会社にいれば「お客様によりそい、預かり資産の解約をとめろ」
と、いわれたんだろうなあ、と。
わたくしは、営業の仕事が長かったので、お客様によりそうと、気持ちいいです。
それが成績に直結するのは、証券会社ではなく、運用会社なのだ、と強く思いました。
その後、運用会社を希望して転職活動をしました。
その思いが通じたのが、2012年です。
同じ金融業界でも、ジャンルが違うので、転職先がみつかるには4年くらいかかりました。
わたくしはこの後も運用会社に身を置くと思います。
証券会社には戻りません。
金融危機は、大きく自分のキャリアを考えるきっかけとなりました。
危機とか、困難とかって、自分の大切なものや、譲れないことをあぶりだしてくれるのですね。
それではごきげんよう。