スナックまりー 仕事と家庭の両立 まりー編
いらっしゃーい。
こんばんは。
あら、悩める婚活女子。
また悩んでるんでしょ。そういうときに来てくれるのよね~
私の話が役に立つなら、話くらい、いくらでもするわよ。
ちょうど、おいしいロゼを開けたところだから、とりあえずこれでいいかしら?
とうとう結婚が決まったのね!!!
おめでとう!両家の顔あわせも終わったのね。
これで婚活はおしまいね。
で、幸せいっぱいのあなたが、何を悩んでいると?
前回は専業主婦になるか悩んでたわよね。
今回は?・・・子供ができたら、家庭と両立できるのかが不安なのね。。。。
まずいうわ。子供ができてから考えなさい。
架空の存在について悩んでも、しょうがないわよ。脳内子供にふりまわされないで。
はい、回答おしまい。
え、あたしがどうしてきたかって?
1人目を妊娠したとききは、仕事をやめる気でいっぱいだったのよ。
でもねえ、育児休暇中に仕事にもどりたくてたまらなくなって。仕事って楽しいことに、とうとう気づいて。そして、家の中に楽しみがみつからなかったの(インテリアや料理に凝る、的な)
だからもう、「両立するしかなかった」の。
実家も義実家もいろいろ事情があって、まったく頼れなかったしね。一度も子供を預けたことはないのよ。
子供って、手がかかる時期と、それほどかからない時期があるのよ。
つまり、私の時間と気持ちをとてもとられる段階と、そうではない時期があった。
だから、私は、私のおかれる環境をフレキシブルに変えたの。
つまり、転職をして仕事をかえていったってこと。
1人目がうまれたときは、育児休暇をたっぷり1年いただいて、外資系証券に復帰をしたわ。でもねえ、外資系だから夜に海外とやりとりしなきゃいけないし、20年前だから今みたいにリモートもできなかった。
子供もあかちゃんだし、本当に私がストレスでいっぱいでした。
で、復帰から1年半後に二人目を妊娠したとき。「ここで同じ仕事を続けるのは、たぶん不可能」と思ったの。
だから、二人目の育児休暇復帰と同時に外資系証券には退職届けをだして、日本企業に転職しました。
日本企業のほうがずっと、環境がよかったわ。なんといっても、優秀な人材がたくさんいた。まあ、メガバンクの子会社だったから、なのかもしれないけど。
だからね、サポートしあえるのよ。これは本当にありがたかった。
誰が早退しても、出張しても、休暇をとっても、カバーしあえるだけの「人数」がいるのよ。
その後二人目が2歳になったくらいに、もういっかい外資系に戻ったわ。このときは、上が5歳、下が2歳。平日はほぼ毎日保育園→ベビーシッターの流れでも不安がなくなったし(ふたりともしゃべれるし、体力がついたから)金融危機前の束の間の好景気で、ビジネスがぐんぐんのびていたので、その中にいたかったの。
その後、金融危機やらクビやらあったけど、金融危機でビジネスがスローになったから、両立はしやすかったわよ。子供は8歳と5歳とかになって。ちょっとほっておいても、兄弟で遊びながら、元気にやっていたわ。
このころ、はじめて子供と私の3人だけでハワイに遊びに行ったりもしたの。
子供の成長ってはやいわね。
あっという間にふたりともティーンエイジャーになって。
そうなると、もう毎日の生活にママがいなくても回っていく。あたしが必要とされるのはトラブルのときだけよ。
そうなると、仕事がなかったらどうなってただろうと思うと、逆にこわいわ。家の中に趣味がないんだもの、辛かったと思うの。
その後もさらに、海外出張だらけの会社に転職したり、ベンチャー2社で同時にはたらいたり。
自分の好きなようにしているの。
振り返ってみてひとつ気づいたんだけど、転職をして自分の状況をフレキシブルにすることでよかったのは
「常に、今の自分の値段が「いくら」か。」
ということを意識できたってこと。
毎日のように、「転職するとしたら、年収いくらの転職先がみつかるだろうか」と考えていて、ヘッドハンターに、いつ履歴書を送ってもいいように、履歴書をアップデートしていたわ。そうなると、履歴書に書く内容を意識して毎日を過ごすようになるの。
これはキャリア形成にとってはおおきい。
ぼんやり過ごす日々なんて、絶対ないのよ。
転職を含めてキャリアを考えると、いろいろフレキシブルに変えられるし、鬱になりそうなくらい嫌なことがあったらすぐ逃げられるし、子供との時間を優先させる時期をつくることもできる。
あなたもぜひ、「自分に値札がついている」と思って生きてごらんなさいよ。
両立なんてなんとでもなるわ。
子供なんてすぐ大きくなっちゃうしね。
納得できたかしら?
さあ、次の一杯は何にする?